コーラン (イスラム教聖典)
シャリ-ア(イスラム法)
シャリ-アはコーランやスンナ(預言者の言行)さまざまな前例を基礎にして9世紀アッバース朝最盛期に体系化されました。イスラム教徒の日常生活全般を規制し、彼らの信仰そのものを実践強化する義務も課しています。
ワーシブ(義務)
信仰告白
「アッラーのほかに神はない。ムハンマドは
その使徒である」ことを常時告白する。
礼拝
毎日、暁、正午、午後、日没後、
夜の5回メッカに向かって礼拝する。
金曜日の正午に大モスクで集団礼拝する。
喜捨
貧しい人に施しをする。
断食
ラマダン月の1ヶ月間、日の出から日没までの
飲食や快楽を禁じる。
巡礼
一生に一度は聖地メッカへ巡礼を行う。
ハラ-ム(禁止された行為)
殺人、傷害、窃盗、姦通、中傷、飲酒、賭博、
飲酒、利子を取ること、豚肉を食べることなど。
マンドゥーブ(実行することが望ましい行為)
割礼
生後7日目から17歳までに男性は亀頭を覆う
包皮すべてを切除する。
結婚
平等に扱う条件で、男性は4人まで妻帯できる。
貨幣の統一
領土が広がるにつれ征服地の旧ササン朝ペルシア領(イラン・イラク)ではディルハム銀貨、旧ビザンチン帝国領(エジプト・シリア)ではディナ-ル金貨がイスラム貨幣の2本柱となり、7世紀末にはアラブ貨幣の鋳造が始まりました。
やがて偶像崇拝禁止の教えが徹底すると、肖像入り貨幣は姿を消し、発行者であるカリフの名とコーランの聖句が刻まれるようになります。数世紀もの間この形態は引き継がれ、イスラム教国ではどこでも使用することができました。伝統の中でデザインはさまざまに変化し、四角、葉形、星形の枠がイスラムコインの重要な装飾要素になります。
12世紀になると十字軍の影響で、宗教的制限から脱却した、シリア、トルコ、イラクの一部で、図像があるコインも発行されています。インドのムガール帝国では国王像がコインに表されています。
コーランの言葉はアラム語から派生したアラビア語です。イスラム帝国建国当初は租税の徴収をはじめ地方行政はアラム語、シリア語、コプト語などで行われてきましたが、コーランの言語であるアラビア語に順次統一されていきました。現在、イスラム世界では、どの国の人でもアラビア語を読みことができます。
スンナ派とシーア派
ムハンマドのいとこで娘婿であったアリーが暗殺され、ムアーウィヤによってダマスクスを都としてウマイヤ朝を開くと、アリーの支持者は彼の子孫をカリフの位につける運動を始めました。シーア派とスンナ派は教義や実践的義務の解釈でも多少違う点があるようですが、最大の相違点はシーア派がイスラム世界の指導者はアリーの子孫でなければならないと主張することです。現在シーア派の信者はイスラム教徒全体の10%程度で、大多数はスンナ派に属します。
クルド族
紀元前2000年から記録に表れる古い民族で、現在では主としてイラク・イラン・トルコの3ヶ国に住んでいます。総数600万人といわれていますが、歴史的には絶えず少数派として圧迫されてきた民族です。エジプト・アイユーブ朝の創始者で反十字軍の英雄のサラディンは北イラクのクルド族出身者です。
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