Thursday 31 December 2009

ロンドン~ローマ空の旅



アリタリア航空、ローマ乗換えで日本に里帰りしました。
飛行時間も長いし、

乗り換えの待ち時間も苦痛だったのですが、
 この日はヨーロッパ中が大雪で、ほとんどの飛行機がキャンセルになった中、
アリタリアは、ほぼ時間通りに飛びました。
イタリア経由にして、正解でした。

ロンドンからローマまでの飛行機は、
アルプス上空を飛行します。

アルプスが終わると
雪が無いイタリア上空を飛びます。

真っ青な海が見えてきたら、ローマに到着です。

Wednesday 30 December 2009

ジャパン・レイル・パス

今回の里帰り、ジャパン・レイル・パスを使って九州一周旅行を計画しました。
ジャパン・レイル・パスというのは外国人と外国に永住権がある日本人にのみ発行されるJRパスで、(のぞみを除く)JR全線乗り放題です。無料で座席指定もできます。
成田空港から九州めざしてJR移動。実は私、東海道新幹線に乗るのが初めてなんです。富士山が見えたときは嬉しかったです。
太平洋側って工場も多いのですね~。これも私にとって初めて見る景色でした

Tuesday 29 December 2009

有田

有田焼の窯元を要領よく回るため、駅前でタクシーに乗って、まず柿右衛門窯へ。
17世紀に色絵を完成させて有田焼を有名にしたのが、初代柿右衛門です。これが柿右衛門が住んでいた家ですが、
何よりも、ここで柿の木を見ることができたのが嬉しかったです。
これが柿右衛門の名前の由来となった柿です。
もちろん350年近く経っていますから木も孫の代でしょうけど、小学校の道徳の時間に習ったことがある柿右衛門の柿を見ることができて、とても感激しました。
柿右衛門の特徴は、濁手と呼ばれる真っ白な磁肌に描かれた色絵で、ヨーロッパでも絶賛されまし た。
柿右衛門作の濁手にはサインがありません。
弟子の作品には柿右衛門窯と書いてあります。
左が柿右衛門、右がマイセン。
これはマイセン窯で作った柿右衛門の模造品です。
11代柿右衛門の作品。
12代柿右衛門の作品。
13代柿右衛門の作品。
14代柿右衛門の作品。
次に古伊万里様式の源右衛門窯へ行きました。
ここでは職人さんたちが実際に作業をしているのを見学できます。
窯も見せてもらえます。
ここで薪(赤松)を燃やします。
これは温度計。1300度になったら曲がります。
古伊万里は器全体に描かれた絢爛豪華な装飾模様が特徴です。
ヨーロッパの王侯貴族に愛され宮殿に飾られました。
次に行ったのは泉山磁石場です。
有田の歴史は1616年に朝鮮人陶工の李参平がこの泉山で陶石発見したことから始まります。
その李参平を祀った陶山神社にも行ってきました。
1888年に奉納された高さ3.65mの磁器製の鳥居が有名です。天然呉須による淡いブルーの唐草模様が美しい。
燈籠も磁器です。
水瓶は1889年奉納。
1887年に今右衛門奉納による狛犬。
ちょっと変な顔。
最後に色鍋島の今右衛門へ。
代々色鍋島の絵付けを行っていた家で、
その技法を守りつつ、新技法を取り入れるなど、鍋島の新境地を開きました。

Monday 28 December 2009

伊万里


有田から松浦鉄道に乗って伊万里へ。
江戸時代、伊万里川の河口のあたりは伊万里津と呼ばれていました。伊万里津は佐賀藩の最も重要な港町として栄えていました。
肥前一帯で焼かれた磁器は伊万里港から船で積み出されており、ここから出荷され磁器は国内外で「伊万里」と呼ばれていました。
伊万里津大橋の上には陶器でできた像や壺が飾ってあります。これは酒樽にまたがったオランダ人の像は18世紀にオランダからの注文により輸出用に焼かれたものだそうです。酒樽には金属製の蛇口が取り付けてあり、中に酒を入れることができたそうです。
古伊万里はヨーロッパへ渡ると、曲線と渦巻きを多用するロココ様式の燭台金具を加えて、王宮や貴族の館の壁を飾りました。金彩や赤絵を屈指した色絵磁器の絢爛豪華さがよく調和しています。
中国では沈香壺の中に香木を入れておき、普段は蓋を閉めておきますが、客が来た時に蓋を開けて芳しい香りで客をもてなしたのだそうです。ヨーロッパでは金工技術を加えて王宮などに飾られました。
伊万里駅前から路線バスに乗って大川内山へ。
ここは江戸時代に幕府や大名な どへの献上・贈答用の最高級品のみを焼いていた藩窯があったところで、採算を度外視した最高の職人の最高の作品を作っていました。
作品の大部分は木杯形の皿で、日本風の図柄が完璧な技法で描かれています。 生産された磁器は藩が全て買い取り、職人の生活は保障されていましたが、技術が外部に漏れることを怖れた藩により完全に外界から隔離され、職人は一生外部出ることはなく、外部から人が入ることも極めて希であるという、閉鎖的な社会が形成されていました。
今も秘窯の里という言葉がぴったりな、山奥の小さな町です。
民家の軒下の干し柿が印象的でした。
歩いている途中、登り窯を見つけました。
素晴らしい鍋島磁器はここで焼かれるのですね~。
バス停近くの橋も磁器でできています。
バスを待つ間に入ったお土産やさんの伊万里焼。
伊万里津から出荷された磁器は出島からヨーロッパへ運ばれました。その夜、長崎の出島跡地に行ってみました。出島は明治時代に埋め立てられています。

タワー橋

1894年に造られた跳ね橋で、中央部分は90秒で八の字に開閉する跳ね橋です。ネオゴシック様式のタワーは、隣のロンドン塔の雰囲気に合わせてデザインされたそうです。 19世紀、テームズ川を通って一週間に150隻の船が。世界一忙しい貿易都市ロンドンに入ってきました。当時は海...