Monday 31 May 2010

マルセイユ上空

西洋美術史講座の旅行で
5月末に南フランスに行ってきました。
ロンドンから飛行機で2時間、まずマルセイユに上陸します。
上空から、このように島や、
港がはっきり見えました。
マルセイユにはフランス最大の港があり、
人口82万人というのは、パリに次ぐ大きさなのだそうです。
ちなみに私たちが今回使ったのは英国航空。ストライキ騒ぎがあったのに、満席でした。

Sunday 30 May 2010

セザンヌのエクス・アン・プロヴァンス

空港からすぐに向かったのは、エクス・アン・プロヴァンス。
ラテン語のアクア(水)が語源のエクスの名が示すとおり、あちこちに噴水があります。
ポール・セザンヌは1839年にエクスの実業家の家に生まれました。22歳で絵の勉強のためにパリに移り、1874年の第1回印象派展と1877年の第3回の印象派展に参加しますが、その後故郷に戻り、亡くなるまでエクスで絵を描き続けます。
セザンヌは1902年に、エクスの北のはずれに新しいアトリエを完成しました。
昔は周りに何も無く、見晴らしが良かった様ですが・・・、
今はたくさんの木に囲まれています。
2階のアトリエを見学することができます。
このキューピッド像とリンゴは、
ロンドンのコートールド美術館にある絵と同じですね~。
静物画に描かれたボトルやグラスもあります。ちなみにアトリエは撮影禁止。この写真は他のサイトから取ってきました。
1906年、セザンヌは写生中に嵐に襲われ、ずぶ濡れになったのが元で亡くなりました。67歳でした。
アトリエから坂を上がったところにある公園から、
標高1011m のサント・ヴィクトワール山がよく見えます。
セザンヌはここで11枚の油絵と、17枚の水彩画を描いたのだそうです。
公園には、ここで描かれた絵のパネルがあり、
実際の景色と比べることができます。

Saturday 29 May 2010

ゴッホのアルル

有名な
ゴッホの「アルルの跳ね橋(1888年夏)の、
モデルとなったといわれる橋が、
ローヌ川に架かっています。
私たちはアルルの街の中心部、フォーラム広場にある
黄色いカフェ・テラスでランチを食べました。
ここは「夜のカフェ・テラス」(1888年9月)として、ゴッホも描いています。
メニューにもこの絵が使われていました。
フォーラム広場はローマ時代の政治の中心地。
この街にはコロシアムや、
劇場などのローマ遺跡がたくさん残っています。
レビュブリック広場にある市庁舎内には、
ローマ時代のアルルのヴィーナスがあります。
本物はルーブル美術館に飾られているのだそうです。
市庁舎隣の、ロマネスク建築のサン・トロフィーム教会。
耳切り事件のあと、ゴッホが入院したアルルの療養所も、

ゴッホによって描かれています。
アルルの街を出る前に「黄色い家」があった場所を通ります。
「黄色い家」(1888年9月)
アルルの寝室(1889年9月)
ここで有名な「ひまわり」(1888年夏)を描きました。

Friday 28 May 2010

サン・レミのゴッホの精神病院

プロヴァンスの
ブドウ畑を見ながら、
プラタナス並木を通って、
ゴッホが一年過ごしたサン・レミの精神病院に到着しました。
ここにもローマ時代の遺跡がありました。
病院入口までオリーブ畑が続きますが、
この景色もゴッホによって描かれています。
精神病院(サン・ポール・ド・モーゾール修道院)を
描いた作品もあります。

入口から建物まで続く庭も、
ゴッホは描いています。
ここで有名なアイリスを描いたのでしょうか?
アイリス(1890年)。
ゴッホの彫刻。
今でもここに入院している人がいるのだそうです。

修道院部分が一般公開されています。
入るとすぐに回廊があり、
中心には手入れされた庭があります。
回廊の中心部分と、
中庭から見た教会の塔。
階段を上って2階に行くと、
ゴッホの部屋が再現されていました。
昔の車椅子。
鉄格子の入った窓から
見える景色。
ここで有名な「星月夜」(1889)を描いたのでしょうか?
裏庭から見た修道院。
裏の麦畑にはひなげしの花が咲いていました。

タワー橋

1894年に造られた跳ね橋で、中央部分は90秒で八の字に開閉する跳ね橋です。ネオゴシック様式のタワーは、隣のロンドン塔の雰囲気に合わせてデザインされたそうです。 19世紀、テームズ川を通って一週間に150隻の船が。世界一忙しい貿易都市ロンドンに入ってきました。当時は海...