Tuesday 1 August 2017

イスラム教文化

アラブ商人
イスラム教徒の隊商は中国、中央アジア、西アフリカなどを往復し、商船はインド洋と地中海を自由に航行しました。香辛料、薬品、金、銀、銅、塩、象牙、木材、絹織物、陶磁器を運んできただけでなく、中国起源の羅針盤、製紙法、火薬などをヨーロッパに伝えました。
ちなみにアラビア数字と呼ばれるものは、実はインド数字で、十進法とゼロの概念もアラビア経由でヨーロッパに伝わったものです。

ハレム
6世紀アナトリアの小国だった時代に、統治者の妻が敵に奪われ辱めを受けた教訓から、トルコの歴代統治者(スルタン)たちは、正妻を定めない掟になっていました。スルタンたちは世継ぎを生ませるために領地から美女を集め、女の園ハレムを作り、そこに出入りできる男性はスルタンただ一人でした。ハレムには去勢された役人に管理された約300人の女たちが、スルタンの目を引くことだけを考えながら身を飾り暮らしていました。

コーヒー
コーヒーの原産地はエチオピアで、ヤギがその実を食べて興奮するのを見た人間が真似したそうです。それをアラビアに伝えたのはイスラムの修行僧だそうですが、ムハンマドの時代にはまだ伝わってなく、イスラムの教典にはコーヒーについて何も触れていません。アラビア人たちは始めコーヒーの果皮や種子をそのまま煎じて飲んでいましたが、すぐに焙煎した後の煮汁を取る方法を会得しました。飲酒の許されないイスラム教徒の間では日常生活に欠かせない飲み物となりました。イエメンのコーヒーはモカの名のもとにトルコ、ジャワ、ブラジルにまで栽培が広まりました。

ドラッグ (宗教では禁じられていません)
阿片はケシの未熟果に傷をつけ、にじみ出る乳液を取り、これを干して固めたのが阿片です。モルヒネを含み、鎮痛などの薬効のほか、あらゆる精神不安からの解法のために用いられてきました。水パイプを通して吸引されます。
ハシシュはインド大麻の花穂の部分から採取した樹脂の塊がハシシュで、花の咲き始めた草頂部を刻んだものがマリファナです。加熱によってテトラヒドロカンアビノ-ルという成分を生じ、精神的緊張の解除を生じます。パイプにつめ、火をつけて吸います。
カートはイエメンではコーヒーと同じ畑ににカートが栽培されています。この地方の男性たちはカートの葉を噛むか、煎じて飲んでいます。成分のエフェドリンは覚せい剤メタンフェタミン(ヒロポン)に近く長い間には中毒の危険もあります。昔は局地的にしか用いられませんでしたが、最近では冷蔵によって遠くに運ぶことが可能になり、国際問題になりつつあります。

物乞い
コーランは貧しい人たちへの施しを義務付けています。信者は貧しい者に施しをしなければなりません。その義務を果たすためには、貧しい者が存在しなくてはなりません。ですから、石油収入などで裕福になったアラブの国の政府が、乞食撲滅を呼びかけても、市民の協力は得られません。
乞食の方も「自分は貧しいものであり、施しを受ける権利がある」と思っています。プロの乞食はシーア派のモスクでは始祖アリーを賞賛し、別のモスクではそのモスクが属している法学派の始祖を大いに褒め称え、礼拝にやってくる信者からいかにたくさんのお金をもらうかを考え、テクニックを磨きます。
オスマン帝国時代には、他の職人ギルドと共に完全にムスリム社会の一部に組み込まれ、売春婦と並ぶ世界最古の職業として認められています。

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