Saturday 22 July 2017

大英博物館で学ぶ日本の歴史 桃山時代 (1573-1600)

1543年、九州の種子島ポルトガルから来た船が流れ着きました。領主の種子島時尭はポルトガル人から鉄砲を買いました。ちょうど日本は戦国時代だったので、この鉄砲はたちまち日本中に伝わり、種子島銃と呼ばれました。のちに、堺〈大阪)でも鉄砲を作るようになります。
1549年、キリスト教イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルが鹿児島へ来て、日本に始めてキリスト教を伝えました。ザビエルは平戸(長崎県)、島原(長崎県)から京都まで伝道しました。南蛮人はガラス製品や、珍しい織物〈ビロード)などいろいろなものを運んできました。学問では天文学・医学・地理学などの実用的なものが、美術では西洋画の影響を受けた南蛮屏風油絵・彫刻の技法がもたらされました。また、活字印刷機が伝わり、日本の古典などを印刷刊行しました。


日本ギャラリーができた時からある茶室(1990)


茶道は、戦乱の京都を避けて堺で発達し、武野紹鷗や今井宗久らを経て、千利休が完成させました。これらの人たちはみんな堺の商人でした。茶室(裏千家lの茶室茶器(尾戸焼の茶碗、美濃焼の茶入、唐津焼の水差、伊賀焼の水差し)・庭園などもそれに応じて作られるようになりました。

1582年、本能寺の変で織田信長が死ぬと、明智光秀を滅ぼし、柴田勝家と争って勝った豊臣秀吉が信長の後継者となり、日本の統一を成し遂げました。秀吉の時代に豪華雄大な文化が生まれましたが、秀吉が京都の南の伏見桃山に伏見城を建てたので桃山文化と呼ばれ、大名や大商人の間に広まり、絵や彫刻が発達しました。

桃山時代を象徴する建築は城郭で、山城とは違って、交通の便利な平地に天守閣のある本丸をはじめ、堀で囲まれたいくつかの郭からなっています。(大阪城、伏見城、姫路城、二条城)。庶民の家も、このころから、二階建て、瓦屋根の家が出てきました。彫刻では仏像彫刻が衰えて、住宅の欄間などを飾る彫刻が盛んになりました。

絵画では、襖や屏風などに、金地に豊富な色彩を用い強い色彩効果をつかった狩野派(狩野永徳・狩野山楽)を中心に、海北友松や長谷川等伯が有名です。工芸でも豪華な装飾的なものが多く、蒔絵の家具調度などに華やかな時代の特徴が出ています。

朝鮮出兵で諸大名が朝鮮の陶工を連れて帰ってきたため(大英博物館4階のKorean Galleryでは「捕虜」という言葉を使っていますが・・・)有田(鍋島)(肥前焼が数点)、薩摩(島津)(1850年の徳川の紋がはいった薩摩焼の茶壷と食器)、萩〈毛利)、平戸(松浦)、高取〈黒田)など、日本の陶磁器が発展します。

芸能では、出雲の阿国による歌舞伎、琉球から渡来した三味線の伴奏に合わせて人形を操る人形浄瑠璃が流行しました。

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