
有田から松浦鉄道に乗って伊万里へ。

江戸時代、伊万里川の河口のあたりは伊万里津と呼ばれていました。伊万里津は佐賀藩の最も重要な港町として栄えていました。

肥前一帯で焼かれた磁器は伊万里港から船で積み出されており、ここから出荷され磁器は国内外で「伊万里」と呼ばれていました。

伊万里津大橋の上には陶器でできた像や壺が飾ってあります。これは酒樽にまたがったオランダ人の像は18世紀にオランダからの注文により輸出用に焼かれたものだそうです。酒樽には金属製の蛇口が取り付けてあり、中に酒を入れることができたそうです。

古伊万里はヨーロッパへ渡ると、曲線と渦巻きを多用するロココ様式の燭台金具を加えて、王宮や貴族の館の壁を飾りました。金彩や赤絵を屈指した色絵磁器の絢爛豪華さがよく調和しています。

中国では沈香壺の中に香木を入れておき、普段は蓋を閉めておきますが、客が来た時に蓋を開けて芳しい香りで客をもてなしたのだそうです。ヨーロッパでは金工技術を加えて王宮などに飾られました。

伊万里駅前から路線バスに乗って大川内山へ。

ここは江戸時代に幕府や大名な どへの献上・贈答用の最高級品のみを焼いていた藩窯があったところで、採算を度外視した最高の職人の最高の作品を作っていました。

作品の大部分は木杯形の皿で、日本風の図柄が完璧な技法で描かれています。 生産された磁器は藩が全て買い取り、職人の生活は保障されていましたが、技術が外部に漏れることを怖れた藩により完全に外界から隔離され、職人は一生外部出ることはなく、外部から人が入ることも極めて希であるという、閉鎖的な社会が形成されていました。

今も秘窯の里という言葉がぴったりな、山奥の小さな町です。

民家の軒下の干し柿が印象的でした。

歩いている途中、登り窯を見つけました。

素晴らしい鍋島磁器はここで焼かれるのですね~。

バス停近くの橋も磁器でできています。

バスを待つ間に入ったお土産やさんの伊万里焼。

伊万里津から出荷された磁器は出島からヨーロッパへ運ばれました。その夜、長崎の出島跡地に行ってみました。出島は明治時代に埋め立てられています。