フォンダメンタ・ヌオーヴェ(Fondamenta Nuove)からヴァポレットに乗って、ムラーノ島へ。
途中にはお墓の島サン・ミケーネ島があります。ヴェニス自体が土地が少ないところですから、本島ではなく離島に埋葬する場所をつくったのが始まりのようです。サン・ミケーレは聖ミカエルのイタリア語読みで、悪魔と戦って魂を天国に導いてくれる大天使のことです。
14世紀半ば、ムラーノ島の職人たちは外国に製品(主に宝石を模倣したガラス玉)を売り始めました。15世紀には鏡の製造によって外国で知られるようになります。15世紀から16世紀にかけてが全盛期で、それまでの実用本位の製品から、美術工芸品へと変わって行きます。
最初はエナメルや金箔で装飾された色ガラス、次にクリスタリーノと呼ばれる透明度がかなり高いガラスが流行しました。金をちりばめたアヴェントゥリーノや、石を模倣したカルチェドニオ、色ガラスの細い棒を透明なガラスに埋めていくミッレ・フィオーリ、乳白色で不透明なラッティモと透明ガラスを組み合わせたラティチーノなど、繊細なヴェネツィアン・グラスは評判を高めていきました。
ベリーニ作の「バルバリーゴ祭壇画」(1488)は必見です。聖母子と聖人たちと絵の依頼者がひとつの画面に一緒に描かれた、サクラ・コンヴェルサツィオーネ(聖なる会話)と呼ばれる、当時は新しいタイプの祭壇画でした。ひざまずいているのが総督バルバリーゴで、聖マルコによって、聖母子と聖アウグスティヌスに紹介されています。
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