Sunday 15 November 2009

マイセン磁器博物館


マイセン磁器のビジター・センター。
中に入るとショップや、
博物館があります。
大航海時代に東洋から持ち込まれた白磁は、ヨーロッパの王侯貴族の憧れでした。
ヨーロッパ各国は競って磁器の研究に取り組み、ザクセン選帝侯でありポーランド王でもあるアウグスト2世もなんとか自領内で磁器が作れないかと考えました。
1705年、19歳の錬金術師べドガーを雇い入れ、1709年、ヨーロッパで最初の白磁製造に成功します。
1710年、白磁作成方法が他国に漏れることを恐れた王は、本拠地のドレスデンから20キロほど離れたマイセンのアルブレヒト城に磁器工場を造ります。
1719年、城に軟禁されたストレスから酒びたりになったべドガーが37歳で亡くなります。
1720年、ウイーンから絵付師としてヘロルドが招かれます。
1722年、アウグスト王の紋章である双剣を窯印として使うことが許されます。
1727年にはキルヒナー、1731年ケンドラーが型師として招かれます。
1733年アウグスト王が亡くなると、ケンドラーは重厚なバロック様式から優美なロココ様式へと転換をはかり、その愛らしい表情が爆発的な人気になります。
1739年、クレッチマーによってブルー・オニオンが発表されます。
1865年、アルブレヒト城から現在の位置に工場が移転します。
それではケンドラー(Johann Joachim Kändler 1706―75)のデザインを見てみましょう。
1736年作「アウグスト3世」。
1742年作「サプライズ」、風刺が効いていて面白いでしょう?
1743年「ソファーの上のフィギャー」。
1744「フリーメーソンの夫婦」。
1765年「サルの楽隊」。
1776年時計。
ドレスデンにある有名な絵も磁器人形になっていました。
ビジター・センター内のカフェでは、マイセン食器を使ってお茶ができます。

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